からん、と無機質な音が教室に響いた。神くんと至近距離で視線がぶつかる。ほんの一瞬、時が止まった。

melt

 期末テストの前日、放課後に空き教室で神くんと一緒に勉強をすることになった。神くんと私は少し前に恋人同士になったばかり。難しい問題を解くために、少し緊張しながら二人で一つのノートを覗き込んでいた。

「やった! 解けたよ神くん!」

 ノートから目を離し、隣を見ると、神くんの顔がとても近くにあった。それで、私は驚いてペンを落としてしまったのだ。



(ペンを拾わないと)

 からん、と響いた音で、我に返る。
 見つめ合ったのは、ほんの一瞬のこと。私はすぐに神くんから目を逸らした。
 
 心臓の音も、顔の熱さも、全て気のせいだと言い聞かせる。だって、神くんは平然としてる。動揺しているのは私だけだ。

 どうか神くんに悟られませんようにと願いながら、何事もなかったかのように取り繕い、距離を取る。

「ごめん、落としちゃった」
 
 ペンを拾おうと手を伸ばしたときだった。
 神くんの大きな手が、私の手に重なる。心臓がどんっと大きく一回跳ねた。

「ごめんね、今のわざと」
「え」
 
 心臓の音がどくどくと一気にうるさくなり、体温の上昇を嫌でも自覚する。私は、ただひたすら二人の間に落ちたペンと神くんに掴まれている手を交互に見つめた。

 神くんは黙ったままの私の手をきゅっと握り直すと、「キス、してもいい?」と囁くように問いかけた。

 その言葉に、ついに頭が真っ白になる。
 神くんが、私とキスしたいって。数秒前までそんな雰囲気出してなかったじゃない。なのに、なんで急に。

「あの、あのね、私、神くんがそんなこと考えてるなんて、全然思ってなくて」
 
 神くんの目を見ることができない。私はしどろもどろに言葉を発した。たぶん、神くんの問いかけの答えにはなっていない言葉を。

「オレはずっと考えてた。好きな子には、触れてみたいと思うよ」

 心臓の音ばかりうるさくて、神くんの声が遠くから聞こえるような気がする。逃げないで、ちゃんと向き合いたいのに。

「でも、ミョウジさんが嫌ならしない」
 嫌がることはしたくないから、と神くんは続けた。

 ちがう、ちがうの。嫌じゃない。心の準備が追いついていないだけ。
 息が詰まって言葉が出ず、私はぶんぶんと首を横に振る。

「いいの?」
 神くんの問いかけに、今度は首を縦に振る。相変わらず、顔を上げることはできなかった。
 
「ね、顔見せて。心配になる」
「や、いま、絶対ひどい顔してる、から」
「それでもいいよ」
「よくないぃ」

 私の情けない声に、神くんが「ふは」と吹き出す音が聞こえた。続けて、「ミョウジさん」と名前を呼ばれる。とてつもなく甘い声に、脳みそがとろけそうになる。
 
「キスしよ? 顔上げて?」
 
 神くんの温かくて大きな手が、私の頬を優しく撫でた。どうしようもなく恥ずかしくて涙が滲む。でも、そんな声で名前を呼ばれたら。
  
 精一杯の勇気を出して、顔を上げる。視線がぶつかると、神くんは優しく目尻を下げて、もう一度私の頬を撫でた。
 
 ああもう、本当に溶けてしまいそうだ。
 
「ミョウジさん、好きだよ」
 
 目の前で神くんの長いまつ毛が揺れる。唇が重なるまで、あと少し。