剛憲くんは真面目が服を着て歩いているような人間だ。お付き合いを始めた当初、恋人同士のあれもこれも、未成年にはまだ早いと言い切った。でも、剛憲くんだって興味がないわけじゃないでしょう、と聞けば、顔を真っ赤にして黙ってしまった。
きっとこれがバスケ部の仲間なら、たわけ、アホなことを抜かすな、と怒鳴ったのだろう。剛憲くんは、女の子にはめっぽう弱い。特に私には。
それから数ヶ月。「剛憲くんとキスがしたいです」と伝えたら、長い沈黙の後、「明日で良いか」と返ってきた。彼はどのような気持ちで一晩を過ごしたのだろうか。想像すると、私も落ち着きがなくなってしまう。
そして翌日、つまり今日。今、放課後の教室で一緒に受験勉強をしている。
私が鉛筆を置いて一息ついたとき、剛憲くんは「昨日の話だが」と言いづらそうに切り出した。
「その、なんだ」
「キス?」
「……ああ」
キスという単語に剛憲くんの頬がぶわっと赤くなる。
放課後とはいえ、ここは教室。いつ誰が来るかわからない。そんなところでキスするなんて、剛憲くんは嫌がりそうなのに。
今日の剛憲くんは、勉強に集中できていないようだった。ずっとこのことで頭がいっぱいだったのかな。切り出すなら今しかないと思ったのかな。彼の忙しそうな頭の中を想像していると、早く何か言ってくれ、とでも言いたげな視線を感じた。
「うん、しよう」
キスってこういう風に始まるものだっけ。でも、有言実行してくれるところは真面目な彼らしい。
椅子を並べて向かい合うと、剛憲くんの喉がごくり、と動くのが見えた。
「目を閉じろ」
硬い声と口調に思わず笑いそうになり、唇を噛む。こんな雰囲気で本当にキスするのかな。
それでも、ガラス細工を扱うかのようにそっと肩に手を置かれたら、ああ、大事にされているな、と胸がときめいてしまう。
こういうのは男の子からするべきとか、私は全く思わないけれど、兄として主将として先頭に立ってきた剛憲くんの辞書に〝受け身〟という言葉はなさそうだ。どうしようもなく緊張しているはずなのに、リードしようとしてくれる。その気持ちが嬉しくて、私は大人しく目を閉じた。
「……いいか」
私の肩に置いた手に、少しだけ力が入る。「剛憲くん、それはこっちの台詞だよ」とは言わずに、無言で頷いた。
しかし、待てど暮らせど剛憲くんが動く気配を感じられない。今、彼がどのような表情をしているかは、なんとなく察しがつく。
「剛憲くーん」
「も、もう少し待て」
「こんなとこ人に見られたら大変だよ」
「わかっている。……目を開けるなよ」
「はーい」
目をつむったまま待っていると、ふわ、と温もりが近づく感覚があった。そして、ちょん、とほんの一瞬だけ、おそらく剛憲くんの唇が、私の唇を掠めた。そしてすぐに肩から大きな手の温もりが離れていく。あれ、今のはキスでいいのかな。
「もう目開けてもいい?」
一応確認をする。「ああ」と小さな声が聞こえて、目を開くと、剛憲くんは片手で顔を隠して俯いていた。けれど、真っ赤な耳は隠せていない。
「剛憲くん」
「見るな」
期待していたのとは少し違ったけれど、たぶん、今のキスが剛憲くんの精一杯だ。
「キスしちゃったね」
「言わんでいい……」
消え入りそうな声。普段の姿からは全く想像がつかない。こんな剛憲くんの姿、他の誰も見たことがないだろう。知っているのは、きっと私だけ。そう思ったら、胸がじわじわと熱くなる。
「剛憲くん、ありがとう」
いろいろな表情をひとりじめできるなら、ゆっくりと進んでいくのも悪くない。
愛おしく思う気持ちを詰め込んで、未だ顔を隠しているごつごつとした手に唇を寄せた。
はなまるをあげる