「ミョウジさん、見ててくださいよ!」
部員同士で行う紅白戦の開始直前、白色のビブスをつけた清田の元気な声が体育館に響いた。
牧の「まったくあいつは」とでも言いたげな視線に、私は苦笑いを返す。
清田は賑やかでお調子者なところが目立つものの、根は真面目な頑張り屋さんだ。私はマネージャーとして、飴と鞭の使い分けを意識していたつもりだった。しかし、無意識のうちに飴の配分を多くしてしまったようで、あっという間に大型犬のような彼に懐かれてしまった。
「ミョウジさんは信長に甘いからなあ」
頭上から柔らかな笑いを含んだ声が降ってくる。声の主は私の隣に立ち、スコアボードをめくった。
「神だって甘いじゃない」
「マネージャーが依怙贔屓は駄目ですよ」
「わかってる」
「この後、勉強教える約束もしてましたよね」
「明日、数学の小テストがあるんだって。教えてくださいって言うから」
お互いにコートから目を離さないまま会話を続ける。
海南大附属高校は、進学校でもある。文武両道を目指すこの学校では、学業を疎かにすることは決して許されない。バスケ部のハードな練習に、進学校の厳しい授業。入学してからまだ数ヶ月しか経っていない一年生にとっては、過酷なものだと思う。
「清田みたいな子には、つい目が行っちゃうんだよね」
「それはわかりますけど」
「でも、他の部員のこともちゃんと気にかけてるよ?」
「ミョウジさん」
「ん?」
「……手のかかる後輩の方が可愛いですか?」
少しの沈黙の後に放たれた言葉に、思わず隣を見上げる。神は変わらずコートを見つめたまま動かない。
「そんなことはないよ」
どう答えるのが神にとって正解なのかわからず、当たり障りのない返事をした。
確かに神は手のかかる後輩ではない。でも、入部当時から割と気にかけていると思う。神もいろいろあったし。どうしても今は一年生に目が行ってしまうけれど。
「もしかして、やきもち?」
私の言葉と同時に、ダンクを決めた清田が笑顔でこちらを振り返る。神は「信長は甘え上手ですからね」とだけ返した。
清田は部活でも勉強でも、教えたことはどんどん吸収していく。これはバスケ部の面々も教えがいがあるだろうなと思いながら、教科書と向き合う清田の姿を眺めた。
部室の窓から見える体育館は、まだ明かりがついている。きっと神がシュート練習をしているのだろう。
「ミョウジさん、助かったっす! ありがとうございました!」
「うん。明日、頑張ってね」
元気よくお礼を言う清田を見送り、日誌の記入に取り掛かる頃には、外はすっかり暗くなっていた。体育館の窓は未だ煌々と光っている。
個人練習でも、さすがにこの時間は遅い気がする。様子を見に行こうか。いや、黙々と練習をする神の邪魔になってしまうかもしれない。どうしようかと悩んでいると、ふと先程の神との会話が脳裏をかすめた。
「神? まだいるの?」
神のことが気になった私は、結局様子を見に来てしまった。
予想通り、体育館には一人しか残っていない。神は私の声を聞くと、驚いた表情でこちらを振り返り、汗を拭った。
「気になって見に来ちゃった」
「あと少しで終わりにします」
「それならいいの。邪魔してごめんね」
「あの」
私が話し終えるのと同時に口を開いた神は、何か言いたげな目をしている。
「なに?」
「ミョウジさんが来てくれると思ったから」
「え?」
「だから、遅くまで残ってました。ごめんなさい」
私の目をまっすぐ見る神の頬は微かに赤みがさしている。それが今の発言のせいなのか、練習で体が熱くなっているせいなのかはわからない。けれど、神が「構ってほしい」という気持ちを心の中にひっそりと持っていたことは明らかになった。
「そっか。遅くなってごめんね。練習、見ていてもいい?」
神は一瞬目を見開いて、その後すぐに顔をほころばせた。
「はい。お願いします」
ボールがリングに吸い込まれていく様子を見ながら、神がシュート練習を始めた頃の姿を思い出す。
「神は本当にすごいよ。この一年で、他の誰よりも成長した」
練習で何度吹っ飛ばされても、監督から厳しい言葉をかけられても、決して諦めずにここまでやってきた。一年前はベンチ入りすら叶わなかったのに、今ではチームに欠かせない存在となった。
「毎日必死に努力してるのに、何でもないですって涼しい顔してさ。神は確かに手のかからない子だけど、ちゃんと見てるよ」
ガンッと大きな音が響いた。リングに弾かれたボールが床に転がり、ばつが悪そうな表情をした神と目が合う。
「ごめん、邪魔しちゃった」
「いえ……」
「今のは全部本当のことだからね」
何事も必ず自分の力で成し遂げようと努力する神の姿を、私はずっと見守ってきた。
「神も、可愛い後輩だよ」
ボールを拾って、神に向かって投げる。再度放たれたボールは、気持ちの良い音を立ててリングへ吸い込まれた。「ナイス」と声をかけると、神は「ありがとうございます」とはにかんだ笑顔を見せた。
「これで今日の500本は終了だね。お疲れ様」
「お疲れ様です。あの、ミョウジさん、歩きですよね。送っていきます」
「大丈夫だよ。神の家は反対方向でしょ」
「でも、もう遅いですし」
「気遣わなくていいから」
そう言うと、神は私の制服の袖を控えめに引っ張った。
「もう少しだけ、ミョウジさんを独り占めしたいんです」
「え」
「可愛い後輩のお願い、聞いてくれませんか?」
懇願するような目に見つめられ、言葉に詰まる。随分と可愛らしい後輩、いや、策士かもしれない。
「……うん、わかった」
「ありがとうございます」
もしかしたら、最も手のかかる後輩は神なのかもしれない。どうして今まで気がつかなかったのだろう。
今日一番の晴れやかな表情で後片付けをする神を見て、明日からさらに忙しくなりそうだと覚悟を決めた。
my sweet…?