「皿、これでいーか?」
「うん、ありがとう」
たまたま仕事の休みが合い、彰くんが私の家にやって来た。
単身用の狭いキッチンに二人で並んで、ぶつかり合いながらお昼ご飯の支度をする。彰くん用の少し長めのお箸を久々に取り出し、お皿とコップを二つずつ並べると、普段の食事の時間より何倍も心が弾んだ。
テーブルに並べたのは今年初の冷やし中華。「いただきます」と二人で声を揃えるのも、またうれしい。
朝からつけたままのテレビは、お昼のワイドショーが始まっていた。
『今日は二十四節気の夏至。北半球では、昼が最も長く、夜が最も短い日です』
アナウンサーの声と共に、眩しい太陽と青空が映し出される。まだ六月なのに暑そう。今日はこの涼しい部屋でのんびり過ごそう、そう考えたときだった。
「食い終わったら散歩行こーぜ」
大きな一口を飲み込んだ彰くんの視線が、テレビから私に移った。テレビでは引き続き、夏至についての解説が行われている。
「長く楽しめる日ってことだろ? せっかくだからさ」
「良い日に会えたな」と笑う彰くんを前に「暑いからやめておこう」という言葉を呑み、「そうだね」と返す。学生の頃から一緒にいる彼の突拍子もないお誘いには、もう慣れっこだ。
彰くんは私の返事にうんうんと満足そうに頷いて、麺を啜った。
六月とは思えない、強い日差しが照りつける。
彰くんは「あちーな」と言いながらも繋いだ手を離そうとせず、私の歩幅に合わせてゆっくりと歩く。たまに鼻歌まで歌って上機嫌の様子。隣に見える海は、太陽の光を反射してキラキラと光っていた。
外に出る直前に「これ忘れんなよ」と彰くんが被せてくれた帽子を、ぎゅっと目深に被り直す。その時ふと、足元に視線が落ちた。
「あ」
「ん?」
「影、私たちの」
「ああ、さっきテレビで言ってたな」
『太陽の位置は一年で最も高くなり、影の長さは一年で最も短くなります』
背丈の大きな彰くんが、何分の一にも小さくなっている。かわいい。
「ハリネズミだ」
ツンツンとした影に向かって手を伸ばし、撫でるような仕草をすると、「かわいがってくれる?」と彰くんの楽しげな声。
「おとなしくしてたらねー」
私の返答に、彰くんは「じゃあ人間のままでいるか」とよくわからないことを呟いて、再びゆっくりと歩き出した。
「夏至の夜に恋に落ちる」
「え?」
またまた彰くんの突然の発言に、思わず聞き返す。
「これもさっきテレビで言ってたぜ」
「そういえば。ポーランドの言い伝えだっけ」
「オレたちが付き合い始めたのも夏の夜だったよな」
「八月だけどね」
「ナマエちゃんが真っ赤な顔しててかわいかった」
「そういうのはいいから!」
なんでもない会話をしながら、のんびりと海沿いを歩く。絶えず朗らかに笑っている彰くんの隣で、私はいつの間にか、暑さより彼と過ごす時間に夢中になっていた。
休憩がてらカフェでアイスコーヒーを飲み、隣の雑貨屋で「今年は美味しいお酒を飲もう」とペアグラスを買った。
その後はまた手を繋いで、目的もなく歩く。何かに追われることのない、ゆったりとした一日を過ごしたのは久々だった。きっと、彰くんがこうして隣にいてくれるおかげ。
「影、ちょっとだけ長くなった」
私の声に、彰くんも視線を落とす。
足元には、より人間の形に近づいたハリネズミのようなものがいる。彰くんが私に一歩近づくと、二つの影は一つに溶けた。
逞しい腕に頭をぐりぐりと擦り付ける。影が揺れ、隣から楽しげな笑い声が聞こえた。
「そろそろ帰ろーか」
「うん。楽しかった」
「そりゃよかった」
「ありがとね」
「こちらこそ」
夕飯は帰りの道中で済ませた。店の外に出ると、空は藍色に染まっていた。夜は風が気持ち良い。
「遠回りするか」
彰くんの問いかけに、私は笑顔で頷いた。
迂回をした先にあったコンビニで、二人分のアイスを買う。コンビニを出ると、私は「甘いの食べたかったんだよね」と、すぐさま袋を破った。
「はあ、幸せ」
この言葉は、甘いアイスを口にしたことはもちろん、今日の総括でもある。
大好きな彰くんが一日中隣にいてくれて、たくさんおしゃべりして、お腹いっぱいになるまで美味しいものを一緒に食べた。
「チョコついてる」
「んん、ありがと」
彰くんは私の口元を拭うと、自身のアイスの封を開けた。
「ねえ、次はいつ会えるかなあ」
「そうだなー」
彰くんはアイスを片手に、私の手を引いて歩き出した。珍しく私の数歩前を歩く大きな背中を追う。
彰くんの笑顔と優しさが私を満たしてくれたことは事実だけれど、暗くなった空を見上げたら少しだけ心に穴が空いた。一歩、また一歩、歩を進めるにつれて、その穴はじわじわと広がっていく。
彰くんがアイスを齧ると、肘に掛けられている紙袋が揺れた。中身のペアグラスは、しばらく出番がなさそう。昼が最も長い一日だなんて言っていたけれど、彰くんと過ごせばあっという間だった。
「彰くん、もう帰っちゃうんだね」
その言葉に、彰くんが歩みを止める。
私のアイスはとっくになくなっているのに、彰くんのアイスは大きさを残したまま溶けかかっていた。
「なあ」
「ん?」
繋いだ手に、ぎゅうと力が込められる。
「一緒に住まねー?」
振り返った彰くんの表情に、珍しく緊張の色が見える。
これは気まぐれなお誘いではなさそうだと瞬時に悟ると、私の心臓が早鐘を打ち始めた。
「これから先もずっと、ナマエちゃんと一緒にいたい」
「彰くん、それって」
「うん」
先の言葉が続かない。唾をごくりと飲み込み、なんとか気持ちを落ち着かせる。
「……プロポーズ?」
「そう」
存在を忘れられたアイスが溶けて、ぼたりと地面に落ちる。それと同時に、私の目からぼろぼろと涙が溢れ出した。
「オーケーってことでいいか?」
私の反応を見て緊張が解けたのか、いつもの穏やかな声が耳をくすぐる。私が大きく頷くと、彰くんは眉を下げて「さんきゅ」と笑った。大好きな笑顔が、涙で滲む。
夏至の夜、彰くんと私はもう一度恋に落ちた。
ありふれた、されど特別な一日