想いが通じ合ってからかなり時が経つというのに、剛憲先輩は一度も私に触れたことがない。手を繋いだことなど勿論なく、私が少し距離を詰めるだけで、先輩は待ったをかける。文字通り、〝指一本〟触れたことがないのだ。
 
 この学校で一番体が大きいと言っても過言ではない剛憲先輩と、幼い頃から背の順は前列をキープしていた私。その体格差のせいか、「まるで美女と野獣だ」と揶揄われたことがあった。先輩はその通りだとでも思っているのだろうか。
 
 私を大切に思ってくれていることは言葉や仕草からちゃんと伝わってくる。それなのに、私はどんどん欲張りになっていく。
 
 先輩のことが大好きだから、触れたいし、触れられたい。そんな気持ちは日に日に大きくなっていった。先輩はどう思っているのだろう。
 
 部活が休みの日の帰り道。いつも通り、間を空けて歩く先輩を見上げて、左に大きく一歩。私の肩と先輩の腕が軽く触れる。先輩はただ目を泳がせるだけだったけれど、私がもう一度わざと肩をぶつけたら、「何だ」と短く返事をした。動揺しているのは明らか。
 
 思いを探るように、「妹がいるのに、女の子慣れしていないんですねえ」と言えば、先輩は表情を硬くした。
 
「妹がいようが、その、なんだ」
 
 声が徐々に弱々しくなり、「好きな女子は別だろう」と消え入りそうな声。思いがけない反応に、思わず先輩をまじまじと見つめてしまう。
 
 先輩は私の視線から逃れるように、真っ赤な顔を背けた。そして、おそらく無意識に、少しだけ歩くスピードが速くなる。私は前を歩く先輩を追いかけた。
 
 ほんの少し丸くなった背中と真っ赤に染まった耳を見て、鼓動が速まる。「先輩、待って」と口に出す代わりに、手を伸ばす。衝動に駆られ、感情を抑えようとするより先に体が動いてしまった。
 
「剛憲先輩」

 先輩の小指を掴む。大きな体がビクッと震え、足が止まった。

「先輩、手を繋ぎたいです。ぎゅってしてほしいです」

 先輩は無言のまま、私を見ようとしない。今、何を考えて、どのような表情をしているのだろうか。後ろからは、赤く染まった耳しか見えない。

「……そういうのは、嫌ですか?」

 背中を見つめたまま、小指を掴む手に軽く力を込めれば、小さなため息が聞こえた。

「……違う」
「それなら」
「この体格差だろう。傷つけたらどうする」
「私、先輩になら食われてもいいです」
「な、何を言うか!」
 
 私の言葉を聞いて、勢いよく振り向いた先輩と視線がぶつかる。
 
「やっと見てくれた」
「ふざけたことを」
「冗談じゃないですよ?」

 わざと真剣な表情をつくり、先輩に一歩近づく。いつもなら目線を逸らし一歩下がる先輩が、私の目を見たままその場を動かなかった。そして、観念したようにため息をつく。

「……怖かったり、嫌だったりしたら言うんだぞ」
「大丈夫です。先輩は、私が怖がることも嫌がることもしません」

そう言って笑えば、先輩は「買いかぶりすぎだ」とつぶやいて私の指を絡め取った。

私のやさしい先輩

「あれ、ここはぎゅーじゃないんですか」
「……それはまた今度だ」