バスケ部のエース、仙道彰くん。彼のことは、学校中が知っていると言っても過言ではない。私とは縁のない、芸能人のようなどこか遠い世界の人だと思っていたから、一年生の頃は特に気に留めたことはなかった。
 
 けれど、二年生で同じクラスになり、仙道彰くんを現実に存在する男の子として認識するようになった。
 
 彼と言葉を交わすことが当たり前になってきた頃、私は席替えのくじで一番後ろの席を引き当てた。私の左斜め前の席を引き当てた仙道くんは、後ろの席のクラスメイトに「オレでけーからさ、後ろ行くよ」と声をかけると、私の隣に座った。
 
「お、ミョウジの隣だ。よろしく」
 
 同じクラス、しかも隣の席になったことで、彼がどのような人物なのか、わかったことがいくつかある。
 
 一つ目。仙道くんは、マイペースなのんびり屋さん。よく遅刻してくるし、授業も寝ていることが多い。先生から何度叱られても、笑い飛ばしている大らかな人。
 
「仙道くん、起きて。そろそろ当たるよ」
 
 隣の席になってから何度目だろう。そっとつついて起こしたら、寝ぼけ眼で「おはよ」と笑って、「今どこ?」と教科書を捲る。
 仙道くんは「いつものお礼」と私が好きなジュースを奢ってくれた。そういったことが何度か続き、このジュースを買うたびに、彼の顔を思い出すようになった。
 
 チャイムが鳴ってから、「わりぃ、教科書忘れた」と言われたこともあった。
 机をくっつけて、二人で一冊の教科書を覗き込む。私が教科書を見せてあげた授業で、仙道くんが寝てしまったことは一度もなかったと思う。いつものように寝てくれればいいのに。男の子とこんなに近づくなんてなかなかないことで、ずっと心臓の音がうるさかったことをよく覚えている。
「綺麗な字書くんだな」と褒めてくれた仙道くんが私の教科書の端に描いた落書きは、なんとなく特別な感じがして、消さずに残した。
 


 二つ目。仙道くんは、人のことをよく見ている。
 私が困っていたときは決まって声をかけてくれたし、良いことがあったときは「嬉しそーな顔してる。何かあった?」と、仙道くんも一緒に笑ってくれた。
 
 夜更かしのせいで眠くて仕方がなかった日、授業中に居眠りをしていたら、肘が机から滑り落ちて目が覚めた。咄嗟に周りを確認すると、見ていた人間が一人、肩を揺らして笑っていた。
 
「朝からずっと眠い顔してる」
「仙道くんは珍しくずっと起きてるね」
「たまにはオレも、ミョウジを助けんといかん」
 
 そう言ったくせに、仙道くんのノートは真っ白だった。
 
「私じゃなくて黒板を見ててよ」
「はは、わりー」
 
「そこ、うるさいぞ」

 先生に叱られて、声を揃えて謝る。
 その後も、仙道くんは楽しそうに私を眺めていた。不思議と、嫌な気はしなかった。
 


 三つ目。仙道くんの人気は私の想像以上だった。
 朝、おそらく下駄箱に入っていたと思われる手紙を手に持ったまま挨拶をされた。
 休み時間や放課後には、「仙道、呼ばれてるぞ」とクラスメイトが私の横を通過する。人気があることは知っていたけれど、隣の席になってから、ひしひしと実感するようになった。
 
 私自身も、自分の心の形が少しずつ変化していることを自覚していた。そんなとき、仙道くんから試合を観に来ないかと誘われた。

 体育館で見た仙道くんは、普段ののんびりとした姿からは想像ができないほどかっこよくて、男女問わず会場中の歓声を浴びていた。

 一年生の頃に思った通り、やはり遠い存在なのだと改めて思い知らされた。体育館にも学校にも、思いの種類は違えど、仙道くんに心を寄せる人は大勢いる。私は、その中の一人にすぎない。少し特別な気分になっていた自分を恥ずかしく思った。仙道くんにとって私は、偶然隣の席になったから話しかけただけの、ただの同級生に違いない。
 
 私がそんなことを考えているとはつゆ知らず、仙道くんは変わらず話しかけてくる。辛くなるとわかっているのに、仙道くんの笑顔に絆されて、私はのこのこと体育館に足を運び続けた。

 好きだけど、もうやめたい。引き返すことができなくなる前に、彼を忘れたい。私の心はずっと揺れていた。



 三年生ではまた仙道くんとクラスが離れて、心の底から神様に感謝した。
 これを機に、仙道くんのことは忘れよう。もう試合は観に行かない。廊下で会っても、素っ気ない態度を取れば、きっとそのうち声をかけてこなくなる。大丈夫、きっと忘れられる。


 
 それから数ヶ月の時が過ぎた。梅雨の時期だというのに、今日は太陽の光が眩しかった。
 
 日直だからという理由で、先生から頼まれた雑務を片付けていく。部活の時間はとっくに始まっていて、グラウンドから野球部の声が聞こえる。帰宅部の面々も、既に教室を後にしていた。

 はあ、とため息をついて日誌から顔を上げる。そのとき、教室の入り口に、よく知っている人物が立っていることに気がついた。
 
「よう」
「……仙道くん」
「これ、好きなやつ」
 
 仙道くんは、前に奢ってくれたものと同じ缶ジュースを机に置き、私の前の席に座った。
 
「最近、全然部活も試合も観に来ねーじゃん」
「……うん。受験もあるし、勉強しなきゃ」
「勉強かー。オレ全然してねーや」
「仙道くんにはバスケがあるから大丈夫だよ」
 
 日直の仕事はもう終えた。日誌と鞄を持って早く立ち去りたいのに、いつもと少し違う空気を纏った仙道くんに気圧されて、どうにも身動きが取れない。平常心、と唱えれば唱えるほど心拍数は上がって、私は仙道くんの胸元辺りを見つめるしかなかった。
 
「なあ、今週末の試合、観に来ねー? 勉強の息抜きにさ」
「どうしよう、かな」
 
 行かない。たった四文字を、言うことができなかった。今もなお仙道くんが私のことを忘れず、わざわざ誘いにきてくれたことを心のどこかで喜んでいた。

「オレさ、ミョウジが来てくれたら嬉しいし、すげー頑張れると思う」
 
 心がぐにゃりと変形する。
 軽いノリで言っているのだと自分に言い聞かせた。仙道くんはそういう人だから。けれど、心は頭と連動してくれない。私は、なんて未練がましいのだろう。

「やっぱ勉強忙しい?」
「えっと」
「それとも、オレのことはどうでもよくなった?」
 
 仙道くんの言葉に、反射的に顔を上げる。今、何て言った?
 
「お、やっと見てくれた」
 
 仙道くんは笑うと眉が下がる。私が去年、何度も隣で見ていた笑顔だ。
 
「なんで、そんなこと」
「オレに興味持ってくれてたよな。違う? 違ったら恥ずいな」

 そうだ、仙道くんは洞察力に優れている人だった。ずっと、私の気持ちなんてお見通しだったのかもしれない。それでも友達止まりだったということは、やはり仙道くんの気持ちは私へ向いていなかったのだ。
 じゃあ、こんなことを聞いてどうするのだろう。仙道くんの考えていることがわからない。答えるのが怖い。
 
「もし、そうだとしたら、どうするの」
 
 イエスともノーとも返すことができなかった。本当に関係が終わってしまうような気がしたから。
 忘れよう、なんて嘘だ。本当はまだ仙道くんのことが好きで好きで、なんとかして近くにいたくて堪らなかった。自分が情けなくて、泣きたくなる。

 仙道くんは私の表情を見ると、「そうかそうか。うん、わかった」と頷いた。
 
「オレ、恋愛とかよくわかんねーから、付き合ってもうまくいく自信ねーし、ミョウジとの関係悪くするほうが嫌だから、楽しいなら今のままでいいと思ってた」
「え?」
「でも、ミョウジがオレの前からいなくなろうとするから、そんなこと言ってられんなと。自分勝手だよな、ごめんな」
「ま、待って」
 
 突然の展開に目が回りそうになる。私は慌てて両手を前に出し、待ったをかけて仙道くんの言葉を遮った。

「仙道くんは、私のこと、その……」
 
 言葉が続かない。仙道くんの気持ちに確信を持てずにいる。まさか、こんな奇跡が起こるわけないと思っていたから。
 
「隣でオレのこと見てたのに、本当にオレの気持ちわからなかった?」
「だって、仙道くんはみんなの人気者で、私が仲良くなれたのは偶然で、遠く離れたところにいる人だと思った、から」
「たぶん、ミョウジが思っているより前から、オレはミョウジの近くにいたぜ」
 
 仙道くんは、待ったをかけたポーズのまま固まる私の手を取った。
 
「だからさ、諦めないでよ。オレのこと」
 
 仙道くんについて、わかったことが増えた。
 
 四つ目。仙道くんは、ずるい男の子だ。
 五つ目。仙道くんは、私のことが好きで、私たちはずっと両思いだったらしい。

隣の席の仙道くん